【Introduction of Iwakura235】Visit・Photo:2016.5.29/Write:2026.4.11
□分類:岩石信仰(広義のイワクラ)
□信仰状況:寺院に祭祀されている。
□岩石の形状:岩屋
□備考:仏教施設であるが、もとは岩石信仰があったと推測
□住所:岡山県笠岡市白石島
□緯度経度:34°24'09.91"N 133°30'46.24"E
(googleに入力すれば場所が表示されます
岡山県笠岡の5キロメートル沖に浮かぶ白石島は、花崗岩の岩肌が白く輝いていたので白石島と名づけられました。この島の中央部に開龍寺があります。
寺伝によると、806年に唐から帰国する空海が、この島に立ち寄り、自分の杖の先をもって一寸八分の尊像を刻み、身代わりとして安置したのが寺院の始まりと伝わります。1184年に源平の水島合戦の戦没者を弔うため、大師の霊蹟に「慈眼寺」を建立しました。1625年に福山城主・水野勝成公が堂宇を再建して「開龍寺」と改めました。1743年に笠岡の今田慧弦が大師の夢告を受けて、神島に八十八カ所の霊場を開きました。また、小さな島には似つかわしくない白いパゴタ(仏舎利塔)が目立ちますが、これはタイに駐在した経歴を持つ第十八世の教海住職が1970年に建設したものです。
『小田郡誌』(昭和16年 小田郡教育委員会)には、以下のように書かれています。
「神島外村白石島にあり。僧空海求法の為入唐し、眞言密教の蘊奥を極め大同元年帰朝の際舟掛りせしに、此島の山水明媚にして幽邃閑雅なるは、密数の弘通に相應の霊地なりとし、三七日の間巨厳の下にて、大満虚空蔵菩薩の法を修め、自性清浄の大曼荼羅と、自然に荘厳せる不二の霊地なりとて、興教済生の記念の為、自己の像を彫刻し、四方上下を結界して安置す。後源平合戦の時、平氏の残黨當島に逃れ来りしを、源氏の兵追躡し来り、火を放ちて焼き殺せり。依りて其追福の為空海の靈跡に一宇を建立し、弘法山慈眩寺と命名せり。これ當寺の濫觴なり。後寛永二年領主福山城主水野美作守勝慶當島を巡見の途次参詣せしに、光明赫灼として眼を射れり。勝慶歓喜して堂宇を再建して祈願所となし、空海自作の像は秘佛とし、別に祕鍵大師像を安置して開帳佛とす。盖し祕鍵大師は、嵯峨天皇の勅を受けて厄病を退散せし像なるを以てなり。かくて教海山開龍寺と改稱す。寛保三年神島四國八十八ヶ所を開くや、當寺を以て其の奥の院となし以て今日に至る。眞言宗に属し笠岡遍照寺の末寺たり。」
空海が37日間修業したと伝わる「巨厳の下」は、現在の奥ノ院です。巨大な岩屋に建物をぴったりと造っています。寺院の奥には、水が湧き出していますが、窮屈な思いをしないと汲めません。やはり、ここの建物を取り外した状態が本来の正しい姿であると思います。原初の状態は、巨大な岩が水平に突き出た不自然な岩屋があったことになり、人工的に形成された可能性もあります。
また、この岩屋の開口部が向いている方向には巨大な岩石が見えるので、その岩石の遥拝所であった可能性もあります。そして、空海は、その異様な光景に惹かれたのではないでしょうか。
奥ノ院の信仰対象は、空海が刻んだ秘仏であり、岩屋ではありません。
しかし、岩屋への信仰に仏教が上書きした可能性が非常に高いので、岩石信仰に分類しました。
また、奥ノ院の周りには、頭を入れて祈願すると願いが叶うという穴(盃状穴)が開いた「不動岩」、市郎兵衛が持ち上げた力石、目を閉じて字の上をなぞると勉強や書道が上達するといわれている岩石(タフォニ現象)「筆不動」、大岩を拝する「荒神社」、雨の日に武士の姿が浮かぶ岩石「永護神社」などがあります。
イワクラハンター平津豊
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