【Introduction of Iwakura233】Visit・Photo:2026.2.29/Write:2026.3.29
□分類:線刻のある岩石
□信仰状況:信仰の形跡なし
□岩石の形状:岩単体
□備考:人工物、線刻された時代や目的は不明、私有地にあるため立ち入り禁止
□住所:山口県下関市彦島江の浦町
□緯度経度:33°55'57.24"N 130°55'10.79"E
(googleに入力すれば場所が表示されます
山口県下関市彦島には、下関市指定有形文化財となっている杉田岩刻画があります。
現地の案内看板には、次のように記されています。
「下関市指定有形文化財(考古資料)彦島杉田岩刻画
指定年月日:平成3年(1991年)5月9日 横140cm・縦100cm・高さ100cm、石英閃緑岩製 この彦島杉田岩刻画が注目を浴びたのは、大正13年(1924年)、『考古学雑誌』(14巻10号)に上代の絵画であると思惟せらると資料写真で報告されたことからです。岩刻画は、表面にペッキング法(硬い石の先端で叩いて図形を表出する方法)で刻画された複数の抽象的な人物様の図形と、円形・三角形・方形などの幾何学的文様の組み合わせからなっています。これらの幾何学文様のモチーフは、九州の有明海沿岸に多く残る装飾古墳にも類似例が認められます。また、朝鮮半島南部、蔚山広域市の「蔚州川前里刻石」にも同様の方法で描かれた岩刻画があります。彦島杉田岩刻画は、これら装飾古墳文化の系統を理解するための重要な考古資料と考えられています。 設置年月日:令和3年(2021年)3月31日」
この看板の説明は、古墳時代後期(6世紀後半)に現れた装飾古墳との関係性を前提として説明されています。
看板に言及されている1924年(大正13年)7月5日発行の『考古学雑誌』14巻10号には、次のように記されています。
「長門彦島発見上代の繪書 長門國豊浦郡彦島町字江の浦小字杉田の山林中にありしものを發見せり。附近の状態より見れば、古墳石室の石に彫刻せしものと見るべく、石質花崗岩、長さ四尺三寸、幅一端四尺他端三尺一寸、厚さ一尺七寸。上代の繪書なるべく思惟せらる。(弘津史文)」
杉田岩刻画が発見された当時は、高台に位置し、周囲に石材が散布していたことから、崩壊した古墳石室の一部が露出したものと考えられ、「杉田古墳」と呼ばれていました。
以下に、彦島杉田岩刻画の主な歴史をまとめます。
1924年、雑木林を切り開いていた人物が岩に刻まれた図に気づき、山口高等学校の弘津史文教諭が『考古学雑誌』に報告しました。
1952年には、九州大学考古学教室の鏡山猛教授と下関市文化財調査会が調査を行い、ドルメンの一種に類似する岩であり、古墳の構成石が露出したものと判断しました。この頃には、「人が近づくと祟りがある石」「願いを祈ると叶う石」といった噂も広まりました。
1982年には、郷土史家の澤忠宏氏による「杉田丘陵の絵文字岩は平家の隠し財産の在処を示す絵図である」という説が新聞で紹介され、宝探しブームが起こりました。
1985年には、西日本民族芸術調査会が一帯の調査を行い、新たな文様石を発見しました。さらに福岡県立若松高校の考古学研究グループが13箇所で新たな文様石を発見し、国内外の研究者に資料を送付して考証を求めました。これにより学界でも関心が高まり、研究の取り組みが始まりました。
1986年には、福岡県立小倉南高校の吉田信啓・林田幸男両教諭が杉田丘陵の石垣から文様石を発見し、同校の調査で17点の文様石が確認されました。6月7日には、第一回彦島古代史シンポジウムが開催され、「彦島ペトログラフを守る会」が発足しました。この場所は、高校の英語教師であった吉田信啓氏がペトログラフ研究を始める契機となった場所でもあります。
1987年には、下関市教育委員会が発掘調査を実施しました。この際の現地説明会において、映画プロデューサーであった川崎真治氏は、市民約80名とNHKの取材陣の前で「杉田のこの巨石に彫られている文字はシュメール文字として読める」と解説しました。これが、ペトログラフをシュメール文字とする説の発端となりました。またこの現地説明会で、平安神道の提唱者・武島和仁の夫人が、人の目には見えませんが、巨石の角に金色の甕が出ているので写真で撮ってくださいというと、半信半疑でシャッターを切った人の写真に黄金色の半透明の壷が写っていたという話も伝えられています。
現在、杉田岩刻画は私有地内にあり、立ち入りが制限されています。筆者は下関市教育委員会の中山氏の立ち会いのもとで見学しました。丘の上に水平に据えられた岩石は恣意的であり、人工的に置かれた可能性が高いと考えられます。
表面の線刻については、下関市文化財保護審議会委員の国分直一氏が、少なくとも三体の抽象的人物形と、直線・円・三角形・方形などの幾何学的文様の組み合わせがペッキング法によって描かれていると判断しています。しかし、実際の刻線は浅く、自然の侵食や割れ目と区別することは非常に困難です。この点について筆者は、少なくとも二つの円については明確な線刻と判断できるとの結論に至りました。これらの円は、直径約100mm、幅約19mm、深さ約2mmの刻線で描かれています。
問題となるのは、過去に岩面に白色塗料で複雑な図形が描かれていたことです。この図像は現在でもインターネット上で確認することができます。学術的には現状保存が優先されるべきであるにもかかわらず、塗料の塗布によって貴重な線刻が損なわれており、これを行った者は研究者としての資質を欠いています。そのような人物が描いた図は、誠実に記録されたものとは考えにくく、誤認や創作が含まれている可能性が高いと推測されます。また、1924年の『考古学雑誌』に掲載された写真にもすでに塗料による図像が確認されます。その後に公表された写真ごとに図形が異なっていることから、塗り直しのたびに図形が変化してきたことが分かります。この点からも、これらの図像には誤認や創作が含まれていると考えられます。
以上のように、現在明確に確認できる刻線は二つの円に限られますが、これらは人工的な線刻であると判断できます。ただし、これらの線刻がいつの時代に彫られたものかについては判定が難しく、近代以降に制作された可能性も否定できません。
本例は、線刻のある岩石に分類しました。
イワクラハンター平津豊
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