0226 愛知県 大巖神社の雨乞巖

【Introduction of Iwakura226】Visit・Photo:2025.7.13/Write:2026.3.7


□分類:石神(広義のイワクラ)

□信仰状況:神社に祭祀されている。

□岩石の形状:巨岩単体、岩盤

□備考:

□住所:愛知県蒲郡市拾石町

□緯度経度:34°49'01.71"N 137°11'51.64"E

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愛知県蒲郡市の拾石川の河口近くに拾石神社が鎮座しています。拾石神社の別名は素盞嗚神社で素盞嗚命を御祭神としています。

社殿は、南面せずに、参拝者は南西に向いてお参りします。参道は社殿から北東に伸びていますが、拾石川で遮られ、川を挟んだ向こう岸に鳥居が建っています。昔はこの川を渡って参拝していたのでしょう。

目的の大巖神社は、素盞嗚神社の東側に鎮座しています。

大巖神社の社殿も南面しておらず、参拝者は西を向いてお参りします。社殿の後ろに巨岩が祀られています。4メートルの大岩で岩盤の一部と考えられます。

石碑には、次のような縁起が刻まれています。

「拾石神社縁起 末社大巖神社 祭神 水速女命 

吉祥女窟古い昔より素盞嗚神社の傍らに雨乞巖という大きな岩がある。柏原村の聖岩神と共に性器崇拝の信仰遺跡であって発祥は数千年の大昔にさかのぼると伝えられる。大昔は拾石神社の本祭りであったが、時代が下って素盞嗚命を奉斉した時、原始信仰の大巖神様は、本来生む力の女陰であり巨石崇拝と習合して大巖神になりさがり、拾石神社の末社に落とされたという説がある。

この岩に「大巖雨師命と称え奉る」とあり、寛永年間(一六二四~一六四三)の大旱魃は厳しく五穀は枯死寸前となった時、昔からの言い伝えによって酒と餅で岩を洗って雨乞の祈祷をしたところ、大雷雨になって堤防は破壊し田畑は荒廃した。それ以後この岩を洗うことを禁止したという。二百余年後の、嘉永五年(一八五二)の大旱魃の時村人は協議のうえ、この岩を洗うことを決議して五夜五日・三夜三日・一夜一日の宮籠りして祈願したが一向に霊験がなかった。そんなある夜村人の夢のお告げに「当時は神慮に背き神の怒りをこうむりたり、故に此の度は信心を凝らし神勅を守り之を行うべし」と、そこで総代十四人を選び三夜三日、日を異にし、斉戒沐浴して祈願した。不思議なことに一点の雲のない空に雨意を起し忽ち白雨盆を覆すような雨が降り山川草本の総てが生気に満ちてその年は豊作であったという。以後大巌神の神徳を称え毎年四月に祭典を行っている。 『塩津村誌』平成十年四月一日発行より抜粋」

この縁起によると、もともと、雨乞巖(あまごいいわ)に対する信仰がこの地の信仰の起源であり、後に素盞嗚命を祀ったものであることがわかります。

この雨乞巖の信仰ですが、祭神が水速女命となってはいますが、一般的に雨乞いを行なう岩石は石神が多いようです。特に、「酒と餅で岩を洗った」という表現からも岩石を神様と捉えていたことが推測されます。また、この岩石を女陰ととらえる信仰もあったようです。

 

イワクラハンター平津豊

 

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