【Introduction of Iwakura216】Visit・Photo:2025.6.28/Write:2026.2.8
□分類:岩石信仰(広義のイワクラ)
□信仰状況:寺院に祭祀されている。
□岩石の形状:巨岩単体
□備考:3つの祠が存在する。
□住所:静岡県浜松市浜名区引佐町奥山
□緯度経度:34°51'10.35"N 137°38'01.26"E
(googleに入力すれば場所が表示されます
浜名湖の北6キロメートルの所に奥山という場所があり、その山奥に浄居院(じょうごいん)が所在しています。臨済宗の寺院で満月堂という堂宇が建っています。その裏にまわると赤い鳥居が現れ、小さな祠があります。祠の背後には巨大な岩壁があります。この祠は、岩壁の割れ目の前にあるので、この割れ目を祀っていると思われます。岩壁の南の方にも祠があります。また、北側にはコンクリート製の階段と橋があります。コンクリートは朽ちかけていて不安定ですが、岩壁の上に登ることができます。登ると岩壁が独立した一つの巨岩であることがわかります。そこには祠があり、3個の小さな石仏が祀られています。
この巨岩や浄居院についての情報はほとんど見当りませんが、吉川宗明氏のホームページには、浄居院について書かれたと思われる「背山藥師如來記」が存在すると紹介されています。
その「背山藥師如來記」は以下のとおりです。
「三生院住職拙巖和尚の記に據る和尚は安永時代の人博學明敏にして徳操堅固眞に當世稀に觀るの高僧なり
背山は其の初め御白山といふ此地藥師如來の石像及妙理權現の社は其の創造を詳にせず
中村喜左衛門常網といふものあり其の先は江州仲村の産也郷名を以て氏となす曾て彦根侯に仕へ後、近藤氏に仕ふ明磿萬治の頃致仕して此の御白山中に來り住す老年の後、剃髪して常閑居士という草庵を白山の下に剏め藥師佛の像を安置して親しく香華を奉ぜんとするや時に檗徒天瑞和尚なるものあり錫を草庵に留むること三年常閑に諭して藥師如來及日月大師の像を彫刻せり時に寛文十一年四月佛誕日なり古の石像は移して巖壁の間に安置せり當時鈴木新左衛門尉助教といふものあり遠州森村の人なり甞て懸川侯に仕ふ仕を辭して茲に來りて家居す盖し中村氏に後るゝ事一、二年同じく民業を事とせり爾來二氏の苗裔連綿繁榮し終に一邑を成す寶磿の末、堂宇既に荒零に逮ぶ常網六世の孫、中村右衛門尉喜憲は同姓及鈴木氏と戮力して一宇を建設す明和三丙戌年三月二十九日落成す云々今の藥師堂即ち是れ也」静岡県引佐郡教育会編「静岡県引佐郡誌 下」名著出版、pp.227-228(1972)より
明暦万冶(1655~1660年)に薬師仏を安置し、寛文11年(1671年)に新しい薬師如来の像を彫り、古い薬師仏を岩壁の間に移した。明和3年(1766年)に薬師堂が建立された。と書かれています。仏像が収められた岩壁の間が祠のある割れ目だと推測できますが、これらの江戸時代の出来事は、仏教の薬師如来に対する信仰の歴史です。また、この地が御白山と呼ばれ、妙理権現の名前が書かれている事から白山の修験道との関係もあったのかもしれません。しかし、満月堂の背後にある巨岩に対する信仰については、何もわかりません。
信仰されていることは確かですので、岩石信仰に分類しました。
イワクラハンター平津豊
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