【Introduction of Iwakura 0200】Visit・Photo:2020.10.11/Write:2025.11.30
□分類:磐座(狭義の磐座)
□信仰状況:神社に祭祀されている
□岩石の形状:巨岩単体
□備考:周辺の岩石は神眷属の座石と言われている
□住所:兵庫県宍粟市山崎町上ノ
□緯度経度:35°07'18.582"N 134°30'36.633"E
(googleに入力すれば場所が表示されます
兵庫県宍粟市は川の上流域に位置しており、古くから川沿いの土地が人々の生活の拠点となってきました。揖保川の上流にあたる梯川、菅野川、伊沢川にそれぞれ、山崎町梯の岩上神社、山崎町塩田の岩上神社、山崎町上ノの岩上神社が鎮座しています。その中で伊沢川の上流にある上ノの岩上神社では岩石を祀っています。
神社の境内には10メートルもの大きさの巨岩が祀られています。その前には「史跡 岩上神社(磐座)」と彫られた石碑とともに、由緒書きの石碑には、神社の創建について次のように彫られています。
「岩上神社由緒 創立年代は明らかではないが、元禄五年(一六九二)「岩上大明神縁由記」また言い伝えによると暦応四年辛巳(一三四一)頃夏の土用が来ると毎夜すさまじき光が見え住民は恐れ近づく事出来なかった そこへ修験行者が現れ、密かにみると大岩付近の岩石から世にも不思議な光が大空に向かって放たれていた。 里に帰った行者は、国主、住民を集め見た事を話し祈祷して光を鎮め社を建て、付近一帯の守り神として崇めさせた。その行者とは薬師如来の化身であったとも伝えられる。大岩(いわくら)が御神体。点在する岩石は此神眷属の座石とも言われている。ある日、重勝と名のる大匠現れ、数年月重ね、元禄五年八月頃社を再建立していづことなく去って行ったと記されている。
宝暦五年「宍粟郡誌」によると、此の付近一帯は神域で有り、恐れ、木の葉一枚持ち去る者なく、昼なお暗い深山と化していた。慶長年間池田輝政が、姫路城築のさい、供木を強要、天守閣の真柱に使用した。其の木片が帰り切株に付着萌芽した。現今「芽生の神木」として崇め来ている。時代は移り変わりて、狼を神の使者として崇め、大難を小難に代え給ふ「身代わり狼神(オオミカミ)」として信仰してきた。現今「満願成就」の神として諸願立される人々は後を絶たない。
祭神 素戔嗚男命 大己貴大神 櫛稲田姫大神
守護 無病息災 満願成就
年縁 夏土用中丑の日
月縁 丑の日
西暦二千年記念建立 平成十二年庚辰八月」
一方、兵庫県神社庁のホームページには、以下のように書かれています。
「「古縁由記」をもとにして書かれたと伝えられる「都多岩上大明神縁由記」(元禄5年・1692年)によると南北朝時代の暦応4年辛巳(1341)の年の正月中旬頃、巨岩の上で毎夜のように光るものが見られ村人が大変不思議に思っていたところ夢のうちに薬師如来が岩上にあらわれ、自分はこの岩上に来て一切の人々を救いたいから早く社を建てて崇めるようと三回もお告げがありこの事を国守に申し上げたところ役人を差し向けられ社殿を建てられ丑の日を縁日として祭るよう申し渡されたと云う。」
また、宍粟市山崎文化協会のホームページには、「山崎町史」や「蔦沢の伝説と民話集」を参考にして以下のように書かれています。
「およそ660年前の暦応4年、お正月中ごろのこと。「ひとりの村人が深い森の中の大きな岩の上で、夜な夜な得もいわれぬ美しい“光”が輝いているのを見た」という話が村里に広がった。「本当のことだろうかー」「不思議なこともあるもんやー」など、よりより話し合われていたところ、同月下旬の「丑の日」、村人が同じ内容の霊夢を三回も続けて見たと、いうので、大騒ぎになった。夢は「薬師如来、不動明王、毘沙門天の三尊が大岩の上に立ち並び、薬師如来から“私たちは、すべての人びとを救い、世の中を平和で豊かなものにしたいから、早く社を建て岩上大明神として崇めなさい”とのお告げがあった」というもの。「これは、ただごとではない」と、長老たちが霊夢のことを国守に申し出た。国守は快く対応。奉行を都多の里にさしむけ詳しく話を聞いた上、社殿を建立。村人たちに「丑の日を縁日として、おまつりしなさい」と、申し渡した。これが同神社の創立だ、とも伝えられている。」
神社の創建に関して、石碑には、①1341年夏の土用の頃、毎夜光が現れた、大岩付近の岩石から空に向って光が出ているのを見た行者(薬師如来の化身)は、光を鎮めて社を建てた。と書かれているのに対して、兵庫県神社庁のホームページには②1341年の正月中旬頃、巨岩の上に毎夜のように光が見られた、村人の夢に、岩の上に薬師如来が現れて社を建てて崇めるようとお告げがあり国守が社を建てた。と書かれています。また、宍粟市山崎文化協会のホームページには③1341年正月の中頃に岩の上に輝いている光を見た。同月下旬の「丑の日」に村人の夢に、大岩の上に薬師如来、不動明王、毘沙門天が現れ、薬師如来から社を建てて崇めるようにとお告げがあり国守が社を建てた。と書かれています。
②と③は、同じ内容で③がより詳しく書かれています。石碑が引用した「岩上大明神縁由記」と、兵庫県神社庁が引用した「都多岩上大明神縁由記」は同じ古文書と考えられますが、①と②の内容は異なります。①の創建譚であれば石神となりますが、②及び③の創建譚では、岩の上に現れた薬師如来が信仰の対象となりますので狭義の磐座となります。
巨岩の前に社殿を建てずに、横に建てているのは気になりますが、ここでは狭義の磐座に分類しました。
なお、宍粟市山崎文化協会のホームページには、巨岩とは関係がない次のような神社の創建譚も書かれています。
「昔のこと。都多の里に玉のような美しい娘さんが住んでいた。ある時、出雲の素盞鳴尊が播磨の国を巡暦中、この娘さんを見て、ひと目ぼれ。相思相愛の仲になられた。尊はたびたび都多の里を訪ね、娘さんとの逢瀬を楽しまれた。しかし、数年後、尊の退っぴきならぬ事情ができ、娘さんと別れなければならなくなった。尊は忙しい中、都多の里にかけつけ、娘さんとの別れを惜しまれた。その時、自分の着物の片柚をさいて手渡し「これを私だと思っていてくれ」と言い、急いで出雲へお帰りになった。娘さんは、その片袖を大切にしていたが、尊が亡くなられたのを聞き、きれいな森の中に祠を建て、片柚を尊のご神体として、おまつりしたのが、同神社のはじまりだという。」
また、この神社の狛犬は狼像です。石碑には「点在する岩石は此神眷属の座石」と書かれていますが、神眷属が狼とは書かれていません。そして、1615年から1755年の間に狼を神の使者として崇めたと読めますので、狼を神の使いとして崇拝し始めたのは、江戸時代以降のことだと考えられます。
イワクラハンター平津豊
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