0189 高知県 唐人駄場巨石群 唐人駄場の列石

【Introduction of Iwakura189】Visit・Photo:2014.10.26/Write:2025.10.08


□分類:目的不明の岩石遺構(広義のイワクラ)

□信仰状況:信仰の形跡なし。

□岩石の形状:岩群、列石

□備考:列石は1977年頃に埋められ一部が残っている

□住所:高知県土佐清水市松尾

□緯度経度:32°44'33.55"N 132°59'00.09"E

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高知県足摺岬に唐人駄場と呼ばれる場所があります。

標高220メートルにある円形の平地で、その広さは直径180メートルもあり野球場がすっぽりと入ります。

もともとはひょうたん形をしていたと伝わります。

唐人駄場の周辺からは、縄文早期の玦状耳飾をはじめ、石斧、石錐、石鏃などが出土していますので、縄文早期(BC9500~BC5000)から人が暮らしていたことがわかっています。

現在はキャンプ場として利用されていますが、第二次世界大戦後は芋畑として使用されていました。その様子は1947年4月23日に米軍が撮った空撮写真から確認できます。

そしてなんと、その畑の畔に列石が並んでいたのです。

残念なことに、公園化するために、それらの列石は1977年頃に埋められてしまい見ることができません。

唐人駄場探索協会『黒潮と縄文巨石文明(1999)』には、この時の作業者の話として、ブルトーザーで巨石の列を倒しているときに、テレビのストーンヘンジの番組を見て「これと同じものを俺は壊している」とつぶやいたと記載されています。また、谷間に列石を落としたということなので、掘れば列石が出てくるものと考えられますが、列石の立っていた位置がわからないので復元は不可能です。

何の目的で、唐人駄場に岩石を並べたのかは不明です。

列石が並ぶ光景は、フランスのブルターニュ地方に残るカルナック列石(Carnac stones)に酷似しています。カルナック列石は、数千個の岩石が4キロメートルも続いている列石で、BC5000年~BC2000年頃に造られたとされていますが、やはり目的は不明です。

もし、唐人駄場の列石が残っていれば、カルナック列石と同様に人類の創造的才能を表現する傑作で、歴史上重要な時代を例証する建築物として世界遺産に登録されたかもしれません。

また、考古学者が主張する「古墳時代以前の日本に巨岩を動かす技術は無かった」という説を否定する有力な証拠の一つになっていました。

このように、列石の大部分は破壊されてしまいましたが、列石に使用されたいくつかの岩石は残っています。

唐人駄場の周辺部の列石は、列石の間に他の岩石を積んで、猪除けの石垣に流用しており、列石自体は動かされていないので列石の一部分を確認できます。

また、唐人駄場の中央部に残っている岩石は、列石に用いられていたものです。これらの列石に用いられた岩石は、幅が薄い三角形の形状をしているのが特徴です。岩石を三角形の形状に加工して並べる作業には大変な労力が必要だったと推測されます。そのような大事業を支える社会構造がこの足摺の地に存在したことを意味しています。

この列石は、唐人駄場巨石群が人工物であることを証明する最も重要な証拠です。

 

イワクラハンター平津豊

 

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