0187 奈良県 ダンノダイラの磐座

【Introduction of Iwakura187】Visit・Photo:2015.5.2/Write:2025.9.13


□分類:磐座(狭義のイワクラ)

□信仰状況:民間に祭祀されている。

□岩石の形状:岩群

□備考:十二柱神社の元宮と推測するが祭祀は中断し、1998年から再び祭祀が始まった

□住所:奈良県桜井市

□緯度経度:34°32'12.07"N 135°53'11.13"E

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桜井市に出雲村という場所があり、出雲族が奈良に移り住んだ場所と言われています。この地には野見宿禰(のみのすくね)塚があったようで、土師氏の祖と言われる野見宿禰が住んでいた場所とも言われています。

『日本書記』の垂仁天皇紀には、垂仁天皇の命により出雲国より召喚された野見宿禰は、当麻蹴速と角力(相撲)をとり、蹴速に勝ったため大和国当麻の地を与えられた。と書かれています。また、日葉酢媛命の葬儀にあたり、垂仁天皇は、殉死は良くないと言い、これに対して野見宿禰は、出雲国の土部(はじべ)を呼んで人や馬を作り陵墓に立てて殉死の代わりにした。天皇は喜ばれ、野見宿禰に土師の職に任じた。これが、土師氏が天皇の葬儀を司ることとなった所以である。とも書かれています。

桜井市出雲村では、埴輪を思わせる土人形作りが盛んだったようで、出雲国(島根)から移り住んだ土師氏の後裔が住んでいる可能性が高いと思います。

出雲と倭の関係で思い浮かべるのは、出雲の大国主が大物主を倭に祀ったことです。

『日本書記』では、大己貴神が少彦名命を失って困っていると、海の向こうから光るものがやってきて、「私は日本国の三諸山に住みたいと思う」と言ったので、宮を作って住まわせました。これが大三輪神であると書かれています。『古事記』では、同じ場面で、大国主が「吾をば倭の青垣の東の山の上にいつき奉れ。」と命じられました。これが御諸山の上に坐す神であると書かれています。この場面においては『日本書記』では「三諸山」、『古事記』では「御諸山」となっていますが、『日本書記』の崇神天皇や景行天皇の部分では「御諸山」と表記されており、「三諸山」も「御諸山」も同義であり、「みもろやま」に違う漢字を当てたものではないかと思います。そして、この「三諸山・御諸山」の場所については、崇神天皇の婚姻物語や後継者決め、景行天皇が蝦夷を住まわせた場面などから「三輪山」の事であると考えて不都合はありません。

一方、この出雲村から北に1.3キロメートル山を登ったところにダンノダイラと呼ばれる場所があります。榮長増文氏は『原始(もと)三輪山(2010)』の中で、ダンノダイラと巻向山と初瀬山を合わせた地域が三諸山であると主張し、大国主が大物主を祀った「三諸山」は、この地域の事であり、「三輪山」ではないと推測されています。

榮長氏は、ダンノダイラ、巻向山、初瀬山、三輪山を含む広域を原始三輪山とも呼んでいます。つまり、三輪山の祭祀は、もっと広域なものと捉えるべきだとの主張です。

ダンノダイラは、三輪山から尾根続きで1.7キロルートルの位置にありますので、大国主に命じられて大物主を祀るために出雲国から移住してきた人々が、このダンノダイラに住んで、三輪山を祭祀していたのではないでしょうか。

ダンノダイラには、野見宿禰顕彰会が立てた説明書が掲示されており、出雲村の人々が昔に住んでいた広場、磐座、天壇跡などがあると説明されています。

天壇跡に関して、『原始三輪山』によると、「1998年(平成10)2月22日に村野豪さん(当時 皇學館大学大学院生)を『ダンノダイラ』に案内した。村野豪さんは、長年にわたり『天壇』跡を探し求めて各地の現地踏査を続けてきたが、見当たらず、遂に『ダンノダイラ』で雄大な日本の天壇に巡り会えた『感激』と喜ばれた。」と書かれています。

野見宿禰顕彰会の説明書には、「直径20メートルの丸い土盛が5段になっていて南西に数個の石がある。」と書かれています。地形に何らかの手が加えられているようですが、これだけでは「天壇」と断定する根拠にはなり得ません。

天壇は、中国の皇帝が天に対して祭祀を行った宗教的な施設で1420年に建設されました。室町時代以降のことですから天皇に関する記録が残っていないはずはありません。それ以前の中国では周の時代から天を祀る儀式(郊祀)を行う祭壇はありました。「天壇」ではなく「郊祀」のことを言ったものだと解釈を広げた場合でも、郊祀は天皇が行う儀式ですから『日本書紀』に記録されています。神武天皇、桓武天皇、文徳天皇の3回しか行われておらず、何れも場所が明記されています。ダンノダイラで行われたとは考えられません。さらに『日本書紀』には「庚戌、始興占星臺」と、天武天皇が占星台を作ったことが記載されています。村野氏が、仮にこの占星台のことを言い間違えている場合であっても、占星台は天智天皇が造った漏刻台のような科学的施設であったと考えられ、毎日測定する必要がありますから飛鳥浄御原宮の近くに建てられたと考えるのが妥当です。村野氏の『天壇』説は根拠が脆弱で説得力に欠けます。

さて、このダンノダイラに磐座と呼ばれる岩石があります。この岩石は、山の斜面に沿って露出した岩群で、そのいくつかの岩石に注連縄が巻かれています。これについて、『原始三輪山』には、1964年に西脇弥之吉氏に聞いた話として次のように記録されています。「大昔の出雲村は『ダンノダイラ』にあったそーなとそーきいている。明治の初め頃まで、毎年、年に一度、村中の者が『ダンノダイラ』へ行って、むかしをおがんで、そこで弁当を食べたり、相撲したりして、一日中遊んだもんだー。村の山登りの行事は、嶽山でこれとはちゃうでー。そいからその『ダンノダイラ』の東の方に、どえらい岩があって、それを拝んだそーな。出雲の氏神さんの本殿はなく、出雲村から真北の方向にある大岩ーその岩を拝んだそーな。年寄りからよく聞かされたもんだ。」

つまり、この岩石は、出雲村に鎮座する十二柱神社の元宮であり、磐座と考えられます。しかし、村野氏の登山に同行した知人の話によると、この岩石に注連縄は掛けられておらず祀られていなかったそうです。したがって、この磐座は、いつの頃からか祭祀は中断し、平成まで忘れられていた磐座ということになります。なお、その知人の記録によると、村野氏が初めてダンノダイラに登ったのは1997年4月とのことで、榮長氏の記録が1998年になっていることと異なります。

 

イワクラハンター平津豊

 

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