0186 奈良県 三輪山 奥垣内祭祀遺跡

Introduction of Iwakura186】Visit・Photo:2013.4.29/Write:2025.8.30


□分類:【跡】磐座(狭義のイワクラ)

□信仰状況:祭祀されていない。

□岩石の形状:岩群(今は存在しない)

□備考:人工物、遺跡は埋められ記念の岩石が2つ置かれている

□住所:奈良県桜井市三輪

□緯度経度:34°31'55.758"N 135°51'05.396"E

(googleに入力すれば場所が表示されます)

 

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大神神社から北に400メートルの位置に奥垣内(おくがいと)祭祀遺跡があります。1965年に民間業者が温泉地開発のため狭井川畔を掘削すると須惠器の大甕が出土しました。その中には須惠器の杯、高杯、長頸壷など数十点と滑石製臼玉が多量に収められていました。そしてこの大甕の周りに岩石が寄せられていました。おそらく、磐座で祭祀を行った後に、祭器をまとめて大甕の中に奉斎したと考えられます。

山ノ神遺跡の出土品が4世紀~6世紀初頭なのに比べて、奥垣内祭祀遺跡の出土品は5世紀後半~6世紀初頭となっています。また、山ノ神遺跡から西に400メートルの位置にあることから、山ノ神遺跡で行われていた祭祀が三輪山から離れた場所へ移っていく過程を示しているのかもしれません(持論 磐座から神社への変遷説)。

大美和の杜の北端に大小2つの岩石があり、奥垣内祭祀遺跡の場所とされています。しかし、岩石は発掘された状態の岩石ではなく、記念碑として設置されたものです。発掘した岩石の中から選んだ2つの岩石を用いているかもしれませんが、移動させており、磐座の用件は満たしていません。したがって【跡】を付けて【跡】磐座(狭義のイワクラ)に分類しました。

余談ですが、奥垣内祭祀遺跡から北に50メートルの場所に神武天皇と五十鈴姫の記念の彫刻や神武天皇聖蹟 狹井河之上顕彰碑があります。このあたりは出雲屋敷といわれ、媛蹈鞴五十鈴媛(ひめたたらいすずひめ)が住んでいた場所でした。

『古事記』によると神武天皇が高佐士野に遊ぶ七人の乙女に出会い、その中から比売多多良伊須気余理比売(ひめたたらいすけよりひめ)を選んで、狭井河の上にある彼女の屋敷で一夜を共に過ごしました。この姫は狭井川の上に住んでいたと記載されています。比売多多良伊須気余理比売は媛蹈鞴五十鈴媛と同一人物で神武天皇の正妃となります。

また、この媛蹈鞴五十鈴媛は、大物主神と勢夜陀多良比売(せやだたらひめ)の娘でもあります。大物主神と勢夜陀多良比売の結婚譚は、大物主神が丹塗矢となって姫のほとを突いたという丹塗矢型神婚説話で語られています。

 

イワクラハンター平津豊

 

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