0185 奈良県 三輪山 山ノ神遺跡

【Introduction of Iwakura185】Visit・Photo:2013.4.29/Write:2025.8.23


□分類:【跡】磐座(狭義のイワクラ)

□信仰状況:神社に祭祀されている。

□岩石の形状:岩組(今は存在しない)

□備考:人工物、遺跡は埋められ目印の岩が置かれている

□住所:奈良県桜井市三輪

□緯度経度:34°31'54.71"N 135°51'20.65"E

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大神神社から北東400メートルの位置に山ノ神遺跡があります。狭井神社の西の狭井川沿いを三輪山の方へ登り、辰五郎大明神を過ぎれば見えてきます。

1918年、この場所を開墾している作業中に遺物が出土しました。樋口清之の『大神神社の考古学的研究(1961)』などによると、この地は維新までは神体山の一部でしたが民有地となりました。蜜柑山とするために、僅かに地上に顔を出している岩を動かそうと、周辺を掘ったところ、驚くべき数の遺物が出土しました。残念な事に奈良県が調査に入るまでに3ヶ月の空白があり、その間に岩石は動かされ、遺物のほとんどは持ち去られてしまいました。現在、残っているのは、最初の発見品と金屋の骨董商の元にあった出土品を樋口が一括購入したものです。

1919年の奈良県の史跡調査報告書では「山ノ神古墳」と称して、この遺跡を古墳とみました。しかし、その後に樋口清之、大場磐雄、後藤守一らによって祭祀場と改められました。

出土品は、小形銅鏡3面以上、碧玉製曲玉5個以上、水晶製曲玉1個以上、鐡片若干、滑石製臼玉50立以上、管玉数百、双孔圓板数百、滑石製板状曲玉数百、剣状状石製品数百、子持勾玉1個以上、土製高杯、盤、杯、臼、杵、柄杓、匙、円板、箕、案等多数、その他古墳時代や奈良時代の須惠器の破片、奈良時代や平安時代の土釜の破片、弥生式坩形土器の破片やサヌカイト製粗製石器少量でした。この山ノ神遺跡では、4世紀から岩石を祭祀場とする自然崇拝が実施されており、鏡、剣、玉などの古墳副葬品と共通する遺物が出土しているため祖霊信仰が同時に行われていたと思われます。その後、5世紀から6世紀にかけて、遺物が農耕と食事に関係する石製・土製の模造品へと変わっているため、大物主神の人格(農耕神・酒造神)が確立したと考えられます。三輪山での岩石祭祀は、長期にわたって繰り返され、その祭祀の内容は、自然崇拝から人格神信仰に変化しました。

山ノ神遺跡は、縦1.8メートル、横1.2メートルの斑レイ岩の上に縦1.1メートル横0.9メートルの岩が載り、回りに4個の石を寄せた構造でした。この岩組の下は割栗石を敷きつめてありました。明らかに岩石祭祀が行われていた人工物で、三輪山の辺津磐座と考えて間違いはありません。

前述したように、これらのほとんどの岩石は無くなってしまっています。また、祭祀場は埋められ、現在は、目印としての岩が置かれています。この岩は、祭祀に用いられた磐座ではありません。したがって分類としては【跡】を付けて【跡】磐座(狭義のイワクラ)と表記しました。なお、先日、訪れるとなぜか写真撮影禁止になってしまっていましたが、この写真は禁止になる前の2013年に撮ったものです。被写体は信仰に用いられた岩石ではないため掲載しています。

 

イワクラハンター平津豊

 

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