鳴石


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〇1990年に平津豊のミステリースポットに掲載していた論文を、2025年8月8日に平津豊のイワクラ研究サイトに転載。 

 

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長野県の蓼科牧場の門の前を左に200メートルほど入った林の中に鳴石といわれる石像がある。

この付近には、祭祀遺跡が多数あり、その一つといわれている。私が訪れたときは、霧雨が降るあいにくの天気であったが、その天気が幻想的な雰囲気を演出し、霧の中から突如現れるこの岩の不思議性をより増加させていた。そういえば、このあたりは雨境峠と呼ばれている。

【鳴石】                   

                             

この雨境峠を中心とした祭祀遺跡群には、他にかき引き石というものも存在するようだ。

学説的には、この鳴石とかき引き石は古代人が神聖視した巨石で、神降臨を願うため滑石製の勾玉・剣・鏡等を奉じる盤座として使われたとされる。

また、かって鏡石とも呼ばれたが、打つと神秘的な響きの音を出すことから鳴石と呼ばれるようになったらしい。

実際に、小石で叩くと、金属音がする。石の音ではない。この鳴石の構造が特殊なのか、それとも材質が特殊なのか、なんとも不思議だ。

 

立科山略伝記には「風強く吹けば。この石が鳴り雷雲たつ。或る時、石工が玄能にて、この石を割らんとすれば、山鳴り谷にこたえて震え火の雨降り、石工は悶死する」とある。

この伝記にも火の雨という表現が出てくる。万治の石仏(ジジ穴・ババ穴)にも火の雨の言い伝えがある。諏訪地方に、昔火の雨が降ったのだろうか。火の雨とはいったい何を指すのであろうか。

 

この鳴石を見て、最初に頭に浮かぶのは、奈良飛鳥村の亀石だろう。非常に良く似ている。

こちらの方は、顔の部分がぼやけているので亀石という名はつけられなかったようだが、そのくちばしの形や目の形など、同じ思想で作られたものとしか思えない。

さらに、この横腹の部分だが、削り取られているように見えないであろうか?。他の部分に比べてあまりにも雑な造作になっているのだ。

飛鳥村の亀石も後ろ足の部分が削りとられていた。

後世の誰かが、何かを隠すためにわざと削り取ったのではないか。それがあっては、困るもの。それがあっては亀という説明が通らなくなるもの。

火の雨、金属音、ピラミッドに関係する鏡石という古称、飛鳥村との類似・・・

私は、そこに大きな翼を想像してしまうのだが。


発表履歴

〇1990年  平津豊のホームページ ミステリースポットに掲載

 

〇2025年8月8日 平津豊のイワクラ研究サイトに転載


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